絶対的評価と相対的評価

 新聞、ニュースのトップ記事は民主党の代表選でもちきりである。連日、円高、株安で企業は悲鳴をあげているが、政治の世界はマイペースである。代表選は菅さんと小沢さんの一騎打ちである。各マスコミは菅さんと小沢さんのどちらがよいかの世論調査をしているが菅さんの圧勝のようである。

 

 ここで違和感があるのは、菅さんは首相としての評価は低いはずである、という事実である。実は評価には2つの方法が存在する。菅さんの首相としての評価は絶対的評価がなされており、代表選においては小沢さんとの相対的評価がなされているわけである。絶対的評価とは、他とは比べない、そのもの自体の評価であり、相対的評価とは他と比べた評価である。すなわち、菅さんは首相としての絶対的評価は低いが、小沢さんと比べた相対的評価は高いわけである。国民が評価する視点が異なるのである。

 

 小沢さんについて、国民は菅さんとの相対的評価はしていない。絶対的評価において、「嫌い」なのである。だから小沢さんが相対的評価を受けるためには、同じくらい嫌われている人と戦うことが必要になってしまう。無論、選挙において、好き嫌いで判断することは好ましいことではないが・・・。このイメージをつくったのはマスコミであり、真偽はよく分からない。

 

 選挙における投票において、国民は無意識に相対的評価をしていることが多い。例えば、昨年の衆議院選挙においては、自民党のあまりの迷走ぶりによって、民主党の相対的評価が向上し、圧勝した。ここで重要なことは、民主党について国民の絶対的評価が高かったわけではない、ということである。しかし、民主党は政権を取り、その時点から国民の絶対的評価にさらされることになる。その結果として、今年の参議院選挙において、みんなの党の民主党に比べた相対的評価が向上し、みんなの党の躍進につながっている。ここでも国民はみんなの党の絶対的評価を下したわけでないのである。アジェンダってなんじゃ?ってなものである。結局は消去法に基づく投票行動なのである。

 

 しかしながら、選挙に勝った、あるいは望ましい結果を得た政党はこの相対的評価と絶対的評価を混同している場合が多いのでないか?国民から見て、政党や立候補者は、選挙のときだけ気前のいい話を繰り返し、みんな言っていることはたいして変わらない、と思っているのではないのか?言い換えると、絶対的に高い評価を得ている政治家がほとんどいないという事実である。「短期視点の国民」のことを考えるではなく、「長期視点の国」のことを考える政治家を国民は本当に待っている、と思う。

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