ビジネス能力の評価指標としての給料

 我々は会社に勤めていれば、その働きに対して、会社から給料が支払われる。この給料というものは、ほとんどの人は「もう少しほしい!」という願望を持つものであるが、通常はその給料で生活をまわし、その給料にある程度は納得して働いている。給料において、不満が出る多くのケースは、他の人と比べたときであり、その最たるものが同じ会社の人間との比較においてである。例えば、35歳である西さんは年収が450万円であり、会社でも一定の評価をもらって仕事をしている。給料については、不満はあるものの、仕事にはやりがいを感じている。ある時、ひょんなことから、同僚である同年齢の山さんの給与が550万円であることを知ってしまった。山さんはどう考えても、自分より仕事ができない。しかし、自分よりも多くの給料をもらっている・・・。

 

 このようなケースは大いに自尊心を傷つけられるため、到底納得いかず、最悪の場合は退職に至る。「仕事は好き」なのに、である。実は私は恥ずかしながら、同じような経験がある。会社で予算編成をしていたことがあり、すべての従業員の給料を知る立場になり、同年齢の低能力者が自分よりも○○○万円も多い給料を得ていることを知ったときは、かなり自尊心を傷つけられ、悔しい思いをした。しかし、本来、それは間違いである。

 

 給料とは自分の仕事に対する会社の「絶対的評価指標」である。従業員は、自分の給料が自分の能力に対する評価であることを知っているが、他人と比べてそれが低い場合、大抵不満が出るものである。人間は自分が一番であると思う動物であり、よほど自分と差があると自分自身で認められない限り(差は能力や年齢、実績など)、会社の自分に対する過小評価を感じるものである。

 

 給料に対する不満とは多くの場合、給料自体ではなく、自分の過小評価に対するものであることに注意を要する。多くの人は、現在の会社で得ている給料が自分の適正値がどうかを考える。自分が労働市場に出た場合、いったいいくらの価格が付くのか?上がるのか、下がるのか?

 

 景気が良ければ、その疑問に対してポジティブになり、景気が悪ければネガティブになるであろう。当然、好景気の場合は、好景気だからではなく、自分の能力が適正に評価されるからであり、不景気の場合は、自分の能力は十分に高いが、景気が悪いせいで、過小評価されることにつながると考える。

 

 しかし個人個人における会社から支払われる給料は、その人自身の能力だけで決まる単純なものではない。個人の給料を決める要素は、入社時期、勤務歴、職種、職業能力、やる気、将来性、雰囲気などや上司から見た好き嫌いも含まれる。だから、給料は純粋に職業能力では決まらないものである。もちろん給料は会社から見た「総合指標」であることには変わりはない。

 

 ここで個人として目指すのは、その会社で給料を上げることではなく、労働市場における自分の価値のはずである。その絶対的自信があれば、その会社を辞めることは難しくないはずである。逆に、その会社に依存しながら、かつ高い給料を求めても無駄である。まずは自分の独立心を養い、どこででもやっていける「自分」を作り上げるべきである。「会社への依存」と「高い給料を獲得できる自分」はトレードオフになる。

Hey Visitor!