今日は超渋滞もあり、12時間ほど車中で過ごしたため、「出来ないこと」について考えてみた。人とは不思議なもので、「自分の出来ること」と「他人の出来ないこと」は山ほど出てくるが、「自分の出来ないこと」と「他人の出来ること」はなかなか出てこないものである。いかに人間が自己中心的かを物語るものである。
私には「出来ないこと」がたくさんある。例えば、スキー、ゴルフ、料理、人の話を長時間聞くこと、いつも同じ気持ちを持続すること(気分屋)、歴史や地理の話、重いものを持つこと(腰痛のため)、商品知識が不足しているため知らない商品を営業すること、などなど、が出来ない。最初は全く出てこなかったが、よく考えれば、いくらでも出てきた。
これよりも出てこないのが、「他人が出来ること」である。他人とは会社の同僚や家族、友人などであり、自分以外の人間という意味である。家族や友人は比較的出てくるかもしれないが、会社の同僚や上司といった場合、なかなか「出来ること」が出てこないのではないだろうか?いや、正確には「出てくる人」と「出てこない人」がいるが、圧倒的に後者が多いのではないだろうか?
「出てくる人」と「出てこない人」を分けるものは何か?考えてみると、私は、自分自身が「認めた人」かどうかが分岐点である。認めた人、尊敬する人についてはいくらでも「他人が出来ること」が出てくるが、反対に認めていない人、まったく見下している人については、「他人が出来ること」が出てこないのである。しかし、この考え方、この習性はまったくの間違いである。悪いところは誰にでもあるし、良いところも誰にでもあるのである。だから、会社の同僚の良いところを見つけることが出来ないのであれば、それは私自身に見る目がないのである。
人は「出来ないこと」あるいは「出来ていないこと」を指摘されると、当然に自分を守る体勢に入る。しかし、「出来ること」あるいは「出来ていること」をほめられると、非常に気分がよくなり、自分の心のハードルを下げるのである。人との信頼関係を築くためには、自己中ではいけないのである。
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