東北地方太平洋沖地震

 あまりにひどい災害である。この世のものとは思えない光景に、ぼうぜんとしてしまう。少しでも被災地の方々の力になりたいが、まだ素人がボランティアをするような状況ではないようだ。今の私に出来ることは、寄付をすることだけである。私もこの地球に、日本に、「生かされている存在」として、少しでも貢献したいと考えている。

 ところで、情報化社会にあって、情報がないことの怖さを思い知らされる。阪神淡路大震災のときもそうであったように、今回も最初の報道では、これほどの大惨事になっていることは分からなかった。時間が経つにつれて、その深刻な事態に驚愕する。今回、具体的には土曜日の朝のテレビからであろう。マスコミがヘリを飛ばし、はじめてその悲惨さが明らかになったのである。

 

 情報化社会にあっては、いつでも誰でも情報発信できるような錯覚に陥ってしまうが、被災した方々にはその手段が取れないことを、今更ながら再認識する。携帯電話もインターネットもそのパワーを発揮できない。電気がない、電話の基地局が破壊されるという状況では、役に立たない結果となってしまう。かなりの行方不明者が出ているがその母数がどの程度か、また逆に生存していてもその生存を伝える手段がないことから、情報が分断されてしまう状況にある。

 

 そして、今回についても、落胆と不安を増幅させているのが、原子力発電所である。私の感覚では、いつも大事な場面で、その脆弱さを露呈してしまう。なぜなのか?原子力発電所には想定外は通用しないはずであるし、いくら大きな地震とは言え、それに対する耐性は備えておくべきであろう。もちろん、最高水準の技術レベルであり、困難な問題があることは理解できるが、失敗の許されない施設である。このような事態が続く限り、一向に国民は信頼感を持つことは難しい。総理や大臣が、「冷静に行動して下さい」といくら言っても、冷静になることは難しいであろう。何が起きているのかが、分からないのであるから。

 

 いずれにしても、今後、企業活動、国民生活に大きな影響があろう。しかしながら、日本人は常に助け合いの精神を持っている。必ず復興できると信じているし、また私もその力にならなければならない。今はとにかく、犠牲者が増えないように祈るばかりである。不屈の国、それが日本である!

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