維新の会

 大阪では橋下大阪知事の率いる維新の会が絶好調である。君が代起立条例案の成立、大阪府議の定数削減の実現へ向けて、新聞、ニュースに話題を提供している。君が代起立条例については以前に書いたため、今回は大阪府議の定数削減を考えてみた。

 名古屋市の市長も議員の定数削減を推進していたが、この手の話題は、市民、県民に理解されやすいし、これの実現に奔走するリーダーが人気者になる確率は高い。この手のニュースを聞いた民衆はこのように考える。

 

・議員などの政治家は高い給料をもらっている(少なくとも自分たちより)
・どうせろくな政治をしないのだから、人数をカットしても問題はない
・人数をカットすれば、それだけ予算が減る
・従って、必要な税金も減る
・良いことだ!

 

 間違いではないが、あまりに単純なモノの見方である。そのような印象を持たれる政治も悪いが、定数削減によって議員数が減ることにはデメリットもある。専門的にはよく分からないが、私が想像すると、以下のような不具合が発生すると考えた。

 

①人数が少なくなれば少なくなるほど、民衆の声を代表する可能性が低くなる
 いわゆるサンプリング数が少なければ少ないほど、その全体を表す可能性が低くなるという問題である

②日本で就労している外国人、母子家庭、障害者などのマイノリティへの注目が低下する
 議員数が多ければ多いほど、マイノリティに目の向く議員が存在する可能性が高くなる

③特定少数の声のみが反映された政治が実現しやすい
 絶対数として、過半数を取るための必要数が減少するため、例えば「維新の会」のようにトレンドにのった組織が、キャスティングボードを容易に握ってしまう。人数が多くなればなるほど、トレンドだけでキャスティングボードを握ることが難しくなる。

 

 他にも様々な問題があるであろう。いずれにせよ、議員が市民や県府民、国民が期待する政治を実現できていないことが問題なのであり、それは定数削減では解決しない。どちらにせよ、駄目なのであるから、定数削減しよう!ではあまりに問題回避的である。

 

 同じように話として、議員の報酬もまた攻撃されやすい。一部の人は、政治はボランティアで行うべき、といった意見も耳にする。しかし、例えば議員の報酬が月額で25万円だったとしたら、どうなるのか?金持ちや他に収入のある資産家といった特殊な人たちしか政治家になり得ないことになってしまう。それらが、本当に大衆の声を反映した政治につながるのか?また報酬が減れば、汚職につながりやすい一面もあろう。

 

 それに加えて、政治家としての夢も失われるのではないか?多くの人が心の底では、よい仕事をしてくれれば、いくら払ってもよいと思っていると考える。皆さんはどうであろうか?例えば、社長の収入が年間500万円で、その会社の社員が夢を持つことが出来るであろうか?質素、倹約や謙遜はもちろん美徳としてすばらしいが、それだけで興奮したり、燃える仕事ができるはずはない。

 

 かなり話がそれてしまったが、いずれにせよ、維新の会からは他人の声に耳を傾ける謙虚さや柔軟性が伝わってこない。橋下知事の言動・行動は、もはや独裁者チックになっている感があると思うのは私だけであろうか?橋下知事という府民の人気を盾にした強権政治とそれに群がるイエスマン。そしてそれに異を唱える人達は対抗勢力というより、悪者扱いである。

 

 小泉さんが首相のときに、同じような強権を発動した場面はあったが、小泉さんには良いか悪いかは別にして、「郵政民営化」という大義名分があった。橋下知事には、そういった大義名分ではなく、判断基準はすべて自分にあり、「自分のやることは正しい=府民の意思」となっている。府民の意思が先ではなく、自分が先にくることが大きな問題であろう。なんとなくみんなが正しいと思っていることには、十分な吟味が必要である。

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