反原発デモ

 約2ヶ月ぶりの更新となりました。40日間の海外出張など、書く気力もなかったが、最低月1回は更新したいと思う今日この頃である。今回は反原発デモを取り上げたい。大飯原発の再稼動を契機に盛り上がりを見せているが、個人的に大きな違和感をぬぐえない。

 大飯原発の再稼動の過程において、政府の対応のまずさは大いにあろう。政局のドタバタや地方首長の立場からの反論の多さ、的を得ない政府の発表・発言などから、国民に不安感を抱かせたことは間違いない。しかしながら、多くが反原発の姿勢で占められる有識者の声や、政府の対応のまずさから原発への疑念や恐怖を伝える連日のマスコミの報道は公平とは言えまい。なぜなら原発によって享受してきたものや、原発がなくなることで失うものに対する報道をほとんど見かけないからである。東電を含めた電力会社の肩を持つことはできないのかもしれないが、少なくとも国民が冷静に判断できるような情報を政府もマスコミも提供するべきである。

 

 原発は品質の高い電力(停電しない、電圧のバラツキが少ない、他の発電に比べてコストが安いなど)を長年に渡って供給してきた。電力は産業インフラで最重要なものの一つである。ベトナム、トルコなど途上国の多くは産業インフラの基幹を整備するために安くて、安定的に電力を供給する原発建設の必要性を強く認識している。高い電力料金、停電リスク、安定しない電圧は産業立地として大きなマイナスなのである。即ち産業が興らない、雇用が生まれない、国は豊かになれない、のである。

 

 従って、原発のメリットをすべて放棄するということは、産業インフラの力の大幅な低下を招く。瞬間停電でさえ、生産ができない、又は生産性が大幅に悪化する業界は鉄鋼、アルミ等素材産業や半導体等電子部品、メッキ等表面処理など多数をあげることができる。さらに停電になればその時間は仕事ができないわけであり、現状復旧(最初から生産ラインを動かすための対応)や納期遅延、手待ち時間の負担コストは大きい。

 

 火力発電や太陽光、風力などの自然エネルギーで代替すればよいというのが多くの意見であろう。まず火力発電については、大きな問題が2つある。1つはコストの上昇である。火力発電は火力をおこすために化石燃料が必要である。化石燃料は価格の上昇及び不安定性を持っており、震災後の非資源国である日本の液化天然ガスの輸入金額は膨張している。現在の日本の貿易赤字の一因ともなっている。結果として電力料金は大幅に値上げせざるを得ない。2つ目の問題は、化石燃料を使用するため膨大なCO2を排出してしまうことにある。ご承知の通り、CO2は地球温暖化の主因であり、国際的に先進国にはCO2の削減義務が課せられている。原発は安全ではないから火力発電でよいというのは、地球はこのまま破壊し続けてもやむを得ないと言っているに等しい。国際舞台では受け容れられないであろう。加えて、火力発電は大気汚染の原因にもなっており、公害を助長する側面もある。

液化天然ガスの輸入金額の推移
液化天然ガスの輸入金額の推移

 では自然エネルギーが短期的に実用に耐えうるのか?太陽光発電は普通に考えれば、太陽が出ているときにしか発電できない。晴天で概ね10~16時の間でしか発電できないと想像できる。雨や曇りの日が続けばどうなるのか?一日分の電力を供給するには現実的ではないと言える。また太陽光発電は電力への変換効率が低いとも言われている。風力発電にしても風が意図する方向に吹いているときにしか発電できない。風向きが変わったり、風がない場合、発電できない。日本は遠浅の沿岸がないため、風力発電機を建設する場所が少ないとも言われる。自然エネルギーとはいえ、鳥がぶつかったりするため自然にやさしいとも言いにくい。長期的には大きく実用化されると想像するが、短期的には主要な電力供給源となりえない。

 

 さらに太陽光発電などの自然エネルギーは発電コストが相当に割高である(設備を含めて)。火力発電も資源価格の上昇可能性は今後も高いため、コストは増加する。電気料金の値上げは、まずコストに占める電気代が高い業種(鉄鋼、繊維、パルプなど)の競争力を弱める。従って企業は電気料金の安い立地(海外)に移動するか、電気料金が安い海外企業との競争に敗れて市場から退出を余儀なくされる。さらに夏場、冬場の電力供給の不安定さとあいまって、長年日本を支えてきた自動車産業、電機産業も国際的競争力の低下を免れない。停電リスクがあれば、一部の業界は生産さえままならない。

 

 結局、電力供給リスクに対する経済のマイナス効果は甚大であり、雇用の多くが失われてしまう。産業の輸出競争力の低下、化石燃料の輸入増加による貿易赤字が続くため、冨(お金)は海外へ流出を続ける。これらが意味する最終地は簡単に言ってしまえば、日本は国際的に裕福な国ではなくなってしまう、である。反原発デモの参加者はこれらを甘受する覚悟が本当にあるのだろうか?日本には原発をどうしていくか、という命題もあるが、それは震災復興よりもはるかに大きなものと言えるのか?反原発ばかりが取り上げられ、震災復興がどこかへ行っているような違和感がある。

 

 人間は数え切れない技術開発によって良い生活を手に入れた。もちろん、その過程には地球破壊や貧富拡大、心の退廃もあったであろう。しかしながら、今まで我々の豊かな生活を提供してきた技術を放棄することが正しい道とは思えない。今回の大事故はあってはならないことではある。しかしながら、技術はそれらの経験を生かして、さらに地球のため、人のために活用できるはずである。単純、軽薄なマスコミ報道や「子供たちの未来のために」などという白々しい大義によって冷静かつフェアな議論・判断ができないことが日本に大きなツケを残すことならないことを願う。

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コメント: 2
  • #1

    とし (土曜日, 25 8月 2012 05:51)

    全く同感です。現在の日本にとって最良の選択だと思います。
    原発反対とだけ騒いでいる無知な人々の様子に、哀れさえ覚えます。
    報道は、過激で声高の人々の様子だけ報道して良いのでしょうか。
    野田さんの考えは、もっともだと思います。
    言っておきますが、私は、一市民です。
    変な勘ぐりはしないでください。
    原発推進派でもありません。将来は、自然エネルギーになるのが当然の成り行きです。性急に原発を止めることに断固反対です。

  • #2

    Toru Nishikaze (土曜日, 25 8月 2012 09:34)

    としさん。コメントありがとうございます。
    日本人の悪い特性として、マスコミの報道はすべて正しい、と思ってしまうことがありますよね。そして全体観がなく、短期な感情面に流されてしまいがちです。簡単に言うと、マスコミが「右向け右」と言うと、素直な日本人はそれに従ってしまいやすい。
    としさんの言う通り、原発推進、反対という両極端の議論ではなく、その中間地点によりよい日本の答えがある、と考えるべきですよね。

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