得ることのできるもの、できないもの

 さて領土問題花盛りである。尖閣諸島は中国と、竹島は韓国との間で二国間の紛争が大きな問題になっている。特に尖閣諸島については、中国内の暴動により、日本企業や日本人に被害が及んでいる。今回は分析的アプローチが希薄であるが、取り上げたい。

 尖閣諸島は、断続的に日本、中国、台湾の間で領有権が主張され、紛争を発生させてきた。この紛争は主に資源の獲得を目的にされており、豊富な漁業資源や地下資源の存在が確認されている。

 

 最近のトピック的な紛争の発生は、8月16日に自称香港の活動家が魚釣島に上陸したことに端を発する。19日に地方議員を含む日本人が対抗的に上陸した。その後、9月11日に尖閣諸島の日本による国有化が完了した。そして現在、そのことに反発する中国人が中国各地で暴動を繰り広げている。そして日本の料理店や小売店、工場の襲撃、中国内にいる日本人への暴行・いやがらせ、中国人の日本への旅行のキャンセル続出などが報道されており、経済的被害は小さくない。

 

 日本政府はこの問題に対して、正面から取り組み、日本の主張を公式に発表している。しかし、中国側は日本側の対応への批判はしているが、自国の主張は公式に示していない。さて、日本政府はこのまま、この姿勢を続けることが得策なのか?もちろん、感情面で日本の国民の多数はそれを望んでいるようにも思える。

 

 ところが、日本の主張が中国又は国際的に受け容れられて、晴れて日本の領土になりました!という可能性がどの程度見込めるのであろうか?そうなるためには、以下の条件が必要になると考える。

 

①中国が全面的に日本の主張を受け容れる場合
中国は日本の主張が正であると認めて、中国の領土ではないと公式に発表する。

 

②国際的に日本の主張が認められ、中国がそれに従う場合
国際政治のパワープレイヤーであるアメリカやドイツ、フランス、イギリスなどが日本の主張を全面的に認めて、中国側にその領有権主張の放棄を促し、中国もそれを受け容れる。

 

 まず①について考えてみる。中国側で領有権の放棄を誰が判断し、誰が発表するのか?政治はメンツの世界である。メンツが丸つぶれになる領有権の主張の放棄を、歴史的に日本に敵対心を持っている中国が認める可能性は0である。しかも、それを認めた時点で国民の怒りの矛先が中国共産党に向く。それは中国共産党が最も回避したい事態である。そうなったときは中国共産党の解体あるいは崩壊を連想させる。従って、中国共産党幹部は既得権益のすべてを失うことになる。そのため中国共産党はそのような行動を選択しない。

 

 次に②を考える。国際政治の舞台で、「日本の主張が正しい。中国側の主張は間違いだ。従って、我が国は尖閣諸島を日本の領土であるとみなす。」なんていうことをアメリカやドイツが中国に対して発言することが可能であろうか?

 

 先進国が中国に対して、人道上や民主主義の考え方について進言あるいは苦情を申し立てることは可能であるが、中国にとって直接の損失につながることを言えるはずがない。なぜなら、先進国のすべては中国の経済力に依存度を高めているからである。

 

 そもそも、それを発言することで先進国にどのようなメリットをもたらすのか?日本が喜び、経済的、政治的な協力を得られることが、中国からそれらの協力を得られなくなることよりも大きいとは考えにくい。アメリカも南沙諸島など軍事力が絡み、アメリカの安全保障が犯される場合は強い態度を取るが、尖閣諸島がそれに該当するのかどうか?中国はアメリカのファイナンス先でもあり、無用な衝突は避けたいはずである。

 

 日本人の感情面において、日本の主張を国際的に認めてほしい、認めさせたい、あるいは中国側に受け容れさせたいという気持ちは当然にあろう。しかしながら、それを得ることが可能かどうかを考えなければならない。不可能な状態が変わらないのに、経済的な損失だけを発生させている可能性が現在はもっとも高いのではないのか?

 

 そうであれば、日本政府も黙っていることが得策になるのではないのか?それは腰抜けでも非国民的態度でもなく、その選択肢が最もメリットが大きいからである。黙っているからと言って、失うものがあることを意味しない。それが分かっているから、中国政府も公式な見解を述べないのであろう。中国で主張を繰り返しているのは、市民あるい暴動を扇動したい一部の過激派や活動家である。

 

 いくら主張を繰り返しても解決しない領土問題を長引かせることは損失を大きくするだけで、得られるものは日本国民の感情のはけ口だけである。しかもそれらは収まることがないため、いつか疲れてやめてしまうのである。それをすることによって事態は改善・解決せず、その期間中に損失だけが発生する。リターンのない投資は実行するに値しない。

 

 政治家が国民と同じように感情で動くことは必ずしも正しくない。また正しいと見える行動が正しい結果に必ずしもつながらないのである。

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