週刊ダイヤモンド12月7日号の野口氏の記事から

 野口 悠紀雄氏は学者/経済評論家として有名であり、本の執筆やビジネス誌で度々お目にかかる。1年ほど前に氏の本を購入して読んだことがある。その中で日本の税制について見解を述べていたが、実務をまったく理解していない空論の展開を見てから、途中で読むのを止めてしまった。そしてこの記事を読んで、無視できないほど彼のロジックがハチャメチャであり、それを今回考えてみた。古い記事であるが、インドではなかなか新しい雑誌を読めないため、お許し願いたい。

 記事は2ページに渡るが、氏の見解は概ね以下である。

 

(前提)
・実質GDP=名目GDP-インフレ率
・実質GDPは物価変動の影響を除いたGDPの価値である
・インフレ率を日本の統計上は「デフレータ」と呼ぶ

 

①今まではインフレ率がマイナス(デフレ)であったため、「名目GDP < 実質GDP」となっていた(事実)
②しかし直近の第2四半期(7~9月)のGDPは、デフレータが前期比でマイナスとならなかった、主要な内訳項目においてプラスとなっため、「名目GDP > 実質GDP」となった(事実)
③これは円安による消費者物価の上昇が理由である(意見)
④物価上昇(デフレータ上昇)は、実質国内需要を減少させる(意見)
⑤そのことは生産量、売上量を抑制する(意見)
⑥従って、政府が目指す、「デフレ脱却 ⇒ 経済成長」に係る政策は基本的に間違っている(意見)
⑦結論として、消費者物価の上昇を抑えるため、円安に歯止めをかけなければならない(意見)

出所:記事から作成
出所:記事から作成

 さて、順番にロジックの客観性を考察したい。

 

①今まではインフレ率がマイナス(デフレ)であったため、「名目GDP < 実質GDP」となっていた(事実)


 下のチャートを見れば、これは事実である。前提の算式にあるように、デフレータがマイナスのため、実質値は名目値よりも大きくなる。通常は、「実質 > 名目」となるため、日本経済がいかに特殊な環境に置かれていたかが読み取れる。

②しかし直近の第2四半期(7~9月)のGDPでは、デフレータが前期比でマイナスとならなかった、主要な内訳項目においてプラスとなっため、「名目GDP > 実質GDP」となった(事実)


 GDP全体では、デフレータは2四半期連続で±0であるが、「民間最終消費支出」のデフレータは3四半期ぶりにプラスとなった。記事ではいささか誇張しているが(デフレータのプラスが数年ぶりであるかのような)、事実である。

 

③これは円安による消費者物価の上昇が理由である(意見)


 明確な根拠を示していないため、なんとなく読者が納得できそうなことを書いている。しかし、私が調べる限り、事実である可能性が高い。なぜなら、CPI(消費者物価)の大きな上昇を示しているのは「エネルギー」だからである。ご存知の通り、石油、天然ガス、石炭等はほぼ全量を輸出に依存しているため、ドルやユーロに対する円安は輸入コストを上昇させる。その他の商品は横ばいが多く、上昇しているものも季節的要因に過ぎない。しかし、根拠を示さず(誌面の制約はあろうが。といいつつ余計なことはたくさん書いている)、述べることには疑問を持つ。

出所:政府発表資料から作成
出所:政府発表資料から作成
出所:政府発表資料から作成
出所:政府発表資料から作成

④物価上昇(デフレータ上昇)は、実質国内需要を減少させる


 ロジックが破綻し始めるのはここからである。前提の算式を見れば、納得できそうであるが、「物価上昇 ⇒ 実質需要減少」に直接はつながらない。少なくとも、「物価上昇 ⇒ 名目所得の停滞 ⇒ 実質所得減少 ⇒ 実質国内需要減少」といった経路が必要であろう。氏の意見には、二つの隠れた前提が存在する。その前提が、真実などうかを判断する必要がある。

 

 確かに今回のデフレータ上昇は、「需要インフレ」ではなく「コストアップ・インフレ」の性格が強い。そのため、経済学的に言えば、供給曲線が上方に移動する一方、需要曲線が動かなければ、物価は上昇し、実質所得は減少する。「需要曲線が動かなければ」である。

 

 物価上昇時に、実質国内需要が減少するかどうかは分からない。「物価上昇 ⇒ 名目所得増加 ⇒ 実質所得変化なし又は上昇 ⇒ 実質国内需要増加」といった経路になる可能性もある。政府の政策は、例えば「超金融緩和 ⇒ 円安誘導 ⇒ 輸出増加 ⇒ 企業収益の改善 ⇒ 設備投資活発化、個人所得増加 ⇒ 国内需要増加 ⇒ 2%のインフレ達成」という経路を狙ったものである。その政策が良いか悪いかは、別の話であるが。

 

 従って、「物価上昇 ⇒ 実質国内需要減少」には隠れた前提があるとともに、乱暴な言葉の結びつけがなされており、氏の断言は真実ではない。

 

⑤そのことは生産量、売上量を抑制する(意見)


 デフレータ上昇は結果であって、生産・売上量の増減の原因ではない。生産・売上量の増減は、そのときの経済の雰囲気や消費者の気持ち、の問題である。短期的には、そのときのポジション(状態)に、どんなイベント(消費税増税、エコカー減税、オリンピック開催決定、ベアアップの明るい期待、株価上昇、さらなる円安進展など)がぶつかってくるか、である。それは商品によっても異なる。

 

 今回のGDPの数値の一点だけを見れば、「言えない」とはならないが、統計にはその背景がある。この意見は、その背景を無視したものである。そもそも、「実質 < 名目」の状態は生産・売上量を抑制するため、以前の状態「実質 < 名目」がGoodだと示唆する氏の意見は、経済学的にも実務的にも的を得たものではない。

 

⑥従って、政府が目指す、「デフレ脱却⇒経済成長」に係る政策は基本的に間違っている(意見)


 これが正しければ、又は「実質 > 名目」の経済状況が正しければ、どの国もデフレを目指す政策を取ることになってしまう。デフレを目指す国家は存在するのか?アメリカ、ユーロ圏、英国、日本も、緩やかなインフレ率が経済の良好な指標としている。それが何%かは国により異なる。先進国において4~5%を超えるインフレは、家計への悪影響が大きいため回避しなければならないが、概ね2~3%が需要と供給のバランスが取れている状態、というのがコンセンサスであろう。

 

 「実質 > 名目」がGoodであるというのは、言葉遊びのようなものである。この意見が正しいのであれば、デフレのままほっとけ、になってしまう。デフレは企業収益を悪化させ、個人所得を減少させ、ひいては日本経済を停滞させてきた。氏の意見には代案もない。非常に無責任な意見である。

 

⑦結論として、消費者物価の上昇を抑えるため、円安に歯止めをかけなければならない(意見)


 現在の消費者物価の上昇を抑える、というためだけなら、円安に歯止めをかけることは間違いではない。先述したように、CPIの上昇はエネルギーコストの上昇の占める割合が高い。これ以上のエネルギーコストの上昇を回避することは正しい。しかし、エネルギーコストの上昇は円安だけが理由ではない。停止状態の原発、日本のエネルギー輸入方法の失敗(他の先進国等と比べて、割高と言われている)、原油・天然ガス価格の高止まり、地政学的要因なども理由になる。

 

 加えて、現在の経済上昇期待のエンジンは間違いなく、円安である。日本はやはり輸出で稼ぐ国である以上、円安は多くの企業に取ってプラス効果が高い。もちろん、円安の加速度的な持続や行き過ぎは、「メリット < デメリット」となるため、回避につながる政策が必要となる。

 

 しかしここでは、円安のメリットに触れることなく、単に「現在のCPI上昇を抑制するため」という理由だけで、円安回避が良い方法であるとしている。どんな政策も、良い面と悪い面(良い現象、悪い現象)を併せ持つ。CPI上昇抑制のために円安回避が良いとしても、他の影響要因を考慮して判断することが必要である。

 

 従って、氏の意見は、非常に狭い一点のみを考慮した意見であり、全体の最適につながるとは言えない。

 他にも、こんな私見を展開している。

 

・「消費者物価上昇率の上昇が期待される場合には、名目利子率が上昇する。いま買わずに貯金しても、将来の元利合計が多くなるから、いまと同量を将来買うことができる。したがって、買い急ぎは生じないのである。」(原文のまま)

 

 ここで言っていることは、名目的に価格が上昇しても、現在ある現金を貯金しておけば、価格上昇と同じくらい利子によって現金残高が増えるから、買い急ぎは発生しない、ということである。これは貯金のある人かつ冷静に経済の先行きを見据えた分析のできる人には、当てはまらないとは言わない。しかし、消費するのに、経済モデルの前提条件のようなものが適合するであろうか?しかも、日本において、銀行利子率と物価上昇率はおそらく、「物価上昇率 > 銀行利子率」の関係となる。貯金のない人はどうするのか?車や住宅はローンではなく、一括現金で買うのか?疑問は尽きない。

 

・「住宅投資、在庫投資、公共事業の成長寄与度の和は、0.9%である。言い換えれば、これらがなければ、7~9月期の実質GDPの対前期比は▲0.4%となっていたはずだ。これが現在の日本経済の実力だ。」(原文のまま)

 

 他の期や指標をまったく考慮することなく、言い切っている。氏は1次速報値をベースにしているが、この1次速報値の寄与度には、「財貨・サービスの純輸出」▲0.5という数値もある。実質GDPを押し下げたのは、輸入の増加と輸出の停滞である。この大きな数値にまったく触れずに、都合の良い数値だけを抜き出して、私見の正当性を脚色している。アンフェアな意見であるとともに、読者に間違った印象を与えている。

 

 以上が私なりの視点による氏の記事への疑問と反証である。オーソライズされた評論家や著者の記事は読者から、「正しいであろう」との先入観を持って読まれる。特に日経新聞や東洋経済、週刊ダイヤモンドといった著名なビジネス誌になればなおさらである。しかしである。その内容が正しいかどうかを自分自身で判断し、本当か?と自問しながら読むことが大切であると考える。義務的にさらっと読み、分かった気になることは危険であることを氏の記事は示している。

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